データ分析者がCS経験から得たこと

※ ここでのCSはカスタマーサービス(コンピュータサイエンスではない)

昨年、分析を中心としたディレクター職から、CS職に異動して半年ほど過ごした。
この半年間の経験から何を得て、意識や行動がどう変わったのか、再びディレクターに戻り数ヶ月経った現在までに感じた差分をふりかえってみる。

  • ユーザーの姿が以前より立体的になった
    CS業務の中心である問合せ対応を行うなかで、自分の中のユーザー像が少しずつ具体的になっていった。以前はデータから「こういうお客様がいるのかな」と思ったり、周りから「こういう傾向のユーザーが多いよ」と聞いて、漠然とユーザーの姿を想像していた。それが、お客様からの問合せを千数百人分読み、1件ずつ自分の手で回答文を作成することで、「〜を目的として操作する人には〜でつまずく人が多く、それはこの部分が理解しづらいことが原因かもしれない」などの仮説が自分の中に蓄積されていった。
    データを見るとき全体的な視点になりがちだったけど、1件のデータの裏にいる1人のユーザーを実感を伴った形で想像できるようになったことで、データから仮説を考えやすくなったと感じている。1

  • 「分析が役に立てる」と認識する範囲が広がった
    CS業務を毎日していると、「こういう傾向の問合せが多いから改善したい」という部分(明らかな不具合であれば即エンジニア等に対応してもらうけど、そうではなく、より使いやすくなるような改善点)が見えてくる。そう感じる部分は同じサービスに携わるCS内では大抵共通認識となっていたけど、他職種の人も同様に認識しているかというと必ずしもそうではない場合もあった。
    その内の1つについて、事象の起こっている件数、それによる損失額、具体な原因と改善案を問合せ対応の合間にまとめ、CS外に提案したところ、実際に改善に至ることができた。
    以前は、当たり前なことを可視化しても「そうだね」「知ってる」となるだけで、さほど意味がないのではと思っていた。でも、当たり前の範囲は人により差があり、各自が認識しているサービスの姿は思っている以上に異なっていることがわかってきた。また、当たり前であってもその課題の大きさや姿は具体的に認識されていない場合もあることもわかった。
    こういった点について、分析者が媒介になる(課題を適切に可視化して共有することで、解決につなげる)ことも分析が役に立てる範囲なんだなと認識が広がった。
    媒介となるためには、分析者が課題の存在を認識している必要がある。CSにいればサービスへの反応を自然と知ることができるけど、現在は離れているし半年で認識できた範囲はわずかだと思うので、これからもCSのメンバーに積極的に話を聞かせてもらいに行こうと思っている。

  • 分析を通じて貢献するぞ、という意識が強くなった
    CS在籍中、エンジニアやデザイナーなど色々な人が折にふれ、気にかけて声をかけてくれた。また、CSの同僚も私が分析をやりたい(CSとして今後やっていきたいわけではない)ことを知った上で、色々質問しても、どの部分を見てどう考えた結果その判断に至ったのか、サービスがそうなっている経緯など納得するまで教えてくれた。
    ディレクターに戻り、それらに報いたいという気持ちとともに、分析面でしっかり貢献できないと(分析専門でない部署で分析中心にやっている分余計に)自分がここに存在する意味がなくなってしまうなと思うようになった。
    存在意義を示すためには、分析により改善につながる部分を見定めること、分析結果を示すだけでなくそれを施策に落として提案することが必要だと思っている(そもそもの分析能力も当然まだまだ精進が必要だけど)。色々スマートにできなくて転げながらやっている毎日だけど、分析を業務としてやれることが嬉しいから、かっこわるくてもやっていく。


  1. 利用中に一度も問合せをされないお客様も多いので、問合せだけからユーザーの姿を思い込みすぎるのは危険である、という点も留意する必要はあると思っている